yuki-midorinomoriの日記

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『東北を聴く―民謡の原点を訪ねて』(佐々木幹郎)。東北「3・11」を唄に聴く

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高橋竹山 即興曲"岩木"

       

盲目の津軽三味線弾き高橋竹山(たかはし ちくざん、1910 - 1998)は、1933年3月3日の昭和三陸地震の大津波に遭い九死に一生を得ていた・・・。

東北、そして生活にいきる民衆に唄い継がれてきた民謡、著者が詩人の佐々木幹郎ということで、ネット図書館で借りました。以下東北「3・11」の大津波の惨を書中より引用して擱きます。アンチョクなことです・・・。


【大船渡市宮ノ前に住む畑中みつ子さん(六十三歳)は、地震のあと仕事先から自宅まで戻った。そのときの話である。

 歩きで山を回って、この下船渡まで来たんです。わが家が気になって、気になって。
壊れた家を乗り越えました。見てきました。
 ほんとうに修羅場を見てきました。
 わたしが歩いている近くで、亡くなった人が二人、ドタンと出てきたり。
 潰れた家の下から手をあげていたのがチラッと見えたりしたけど、わたしはほんと
うはこの人たちを助けたいな、と悩んだんです。
 困つたな、困つたな、でも、神様助けてください、わたしの主人は心臓の手術して
入院しているし、わたしの家には動物がいる。
 わたしは子どもがないから、拾った猫とか犬を育ててましたので。どうかな、どう
かな、うちはどうかな、駄目かな、と思ったり。
 高台から妹の家のほうを見たら、もう家は無くなっていました。津波がものすごい
勢いで流れていまして。
 妹は逃げたんだろうなと思いながら、そして、修羅場を越えて、山、山、山と選んで、
 どうか神様わたしを許してください、わたしは我が家に行きたいんです。我が家が
どうなったか、たぶん駄目かもしれないけれど、行きたいんです。許してください。
 今日だけわたしは悪い人になってます。すみませんつて、神様にお願いして、
 わたしを許してください、なぜかというと、わたしは元看護婦の仕事をしてました
ので、そこは一昨年定年になりまして、あとは寮母として働いていました。
 それで、津波になったので神様許してください、許してください、許してください
と言いながらも、
 聴こえたんです。
助けてください、とかいう声と、ショックで頭が……、年老いた方かな、
 唄うたってる声が聴こえてきましたよ。
 潰れた家の下から。
 でも、わたしはそっちのほう見ませんでした。
 見ませんでした。声だけ聴きながら。いま思えば、それは民謡じゃなかったかな、
と思ったんですよ。
 八戸小唄だったと思いますよ。
 なぜ民謡かとわかったかと言うと、うちのお姑さんも青森の八戸なんですよ、生ま
れが。
 お義母さん、八戸小唄が好きで、うたっていたんです。
 ちょっと、そう聴こえた。いろいろうたっていました、その方は。
 明るかったです。三時半頃です。津波が来ている最中でした。来てましたよ。
 来てましたよ。だってわたしは高台で、津波を見てから我が家に向かったんですから。
 第一波、第二波って。夜も来た。それで、あの船、大きいのが上がったって聞きま
したね。わたしが渡ったときは、陸に船、いなかったんですから。
 潰れた家の下で、唄、一生懸命うたっていたのは、かなり年とっている方で。
 助けを求めていたんではなかろうかなと思いました。
 見ませんでした。つらかったです。かなしかったです。
 泣き泣き歩きました、山を。
 そして、やっと我が家にたどり着いたんです。やっぱり、我が家は壊れていたけれ
ども、かろうじて流されずに残っていました。犬猫はどうなったのかなあって。子ど
もがいないから、わたしたち。
 猫二匹、流されました。
 三日目に行ったら、猫三匹だけ高いところにいて助かってました。犬は倒れた家具
と立ち上がった畳との間に挟まれて生きてました。
 ええ、まあ凄い津波が来たんだな、とわたしは思いました、ほんとう。】(佐々木幹郎「東北を聴く―民謡の原点を訪ねて」より)



成田雲竹高橋竹山による「津軽甚句」