再々度の『ハイドン交響曲全集VOL.3』(4枚組)。「交響曲第33番」もよろし。
Haydn: Symphony No. 33 (Christopher Hogwood)
熱帯夜の寝苦しさを扇風機のそよ風モードでどうにかこうにかしのぎ、爽やかとはいいかねる朝を鳥のさえずりのうちに迎え、日課のコマッタ犬に連れられ!散歩。
たしかにそうです。このコマッタ犬が去年我が家へやってこなかったら、○○さんちのご主人最近トンと見ないわね~お元気なのかしらと、たぶん、ウワサを呼ぶひきこもり老人となっていたことだろう。戸外への散歩も、飼い犬に連れられてこそとおもう(あてなく、ふらふらと年寄りが一人で散歩でもしようものなら不審者に間違われることだろう、いや例の徘徊か)。
スポーツは好きな方だけれど、元来?が健康オタクでないものでジョギングやスポーツジム通いの気なぞさらさらない。
2年以上前に、以下投稿していた。
http://blogs.yahoo.co.jp/tdhdf661/63036257.html ハイドン『ハイドン全集VOL.3』(4枚組)より「交響曲第40番」。古典的な形式の美しさ、その優美。<品>性があります。コレだけの理由なんですが。
やはり、『ハイドン交響曲全集VOL.3』のうち、最も印象に残ったのは、前回と変わらず「交響曲第40番」だったのだけれど、再度聴きなおしてみて、これもいいではないかと印象したのが「交響曲第33番」だった。
【 ハイドンをきくたびに思う。なんとすてきな音楽だろう、と。すっきりしていて、むだがない。どこをとってみても生き生きしている。いうことのすべてに、澄明な知性のうらづけが感じられ、しかもちっとも冷たいところがない。うそがない。誇張がない。それでいて、ユーモアがある。ユーモアがあるのは、この音楽が知的で、感情におぼれる危険に陥らずにいるからだが、それと同じくらい、心情のこまやかさがあるからでもある。
ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。
そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴をいっそう大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものを偽らないということとが一つであって、二つにならないからにほかならないのだろう。
こういう人を好きにならずにいられようか? こういう芸術を好きにならずにいられようか?・・・】(吉田秀和)
ここには、だから、ほほえみと笑いと、その両方がある。
そのかわり、感傷はない。べとついたり、しめっぽい述懐はない。自分の悲しみに自分から溺れていったり、その告白に深入りして、悲しみの穴をいっそう大きく深くするのを好むということがない。ということは、知性の強さと、感じる心の強さとのバランスがよくとれているので、理性を裏切らないことと、心に感じたものを偽らないということとが一つであって、二つにならないからにほかならないのだろう。
こういう人を好きにならずにいられようか? こういう芸術を好きにならずにいられようか?・・・】(吉田秀和)