yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

生き生きとして情動する確たる生の賛歌、間宮芳生の『無伴奏チェロ・ソナタ』(1968-69)ほか。堤剛独奏の『現代日本チェロ作品集』(1971)。

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Mayuzumi's "Bunraku" for solo cello

           

堤 剛
イメージ 2たしかに、誰が聞いても、そこに日本の伝統芸能、といってもさほど時代をさかのぼるわけでもないけれど、文楽浄瑠璃の音楽の趣を聞くことだろう。黛敏郎の『無伴奏チェロのためのブンラク』(1960)。他のこうした趣旨の曲に比べれば抜きんでていることは、誰しもが 肯んずることと思われる。『涅槃交響曲』や『曼陀羅交響曲』などの傑作をものしている力量と民族性、伝統回帰へのつよき意思の、これまたよき表出として賞賛されるべき作品であるといえる。チェロという楽器のせいなのだろうか、次の入野義朗の作品『独奏チェロのための三楽章』(1969)および下山一二三の『無伴奏チェロのためのセレモニー』(1970)も日本を感じさせるものがある。ピッチカートになればやはり三味線、太棹風情の音色にそれらを感じるのも無理なかろう。いい意味で言っているのだけれど。そうした意味では日本の作曲家にとってはいささかの親しみを感じる楽器ではなかろうか。伝統の情念的表出にはうってつけと言ってもいいのではないだろうか。日本をことのほか感じさせる入野義朗作品も彼にしては珍しい。やはりそれはチェロという楽器のせいなのかもしれない。そうしたことを確信に近く強く感じさせるのがB面すべてをうめる傑作、間宮芳生(みちお)の『無伴奏チェロ・ソナタ』(1968-69)だろう。これは、文句なしに日本民族性の、優れた音楽上での表出された作品といえるだろうし、矜持でさえある。ここには面映い<美しい国>は無い。それよりも、生き生きとして情動する確たる生の賛歌がそこにはある。<美しい国>というより日々営まれる民俗生活の土台、社稷の共同性、その力つよき歌であるといっていいのだろう。4作品ともチェロ独奏は国際的チェリスト堤剛である。無伴奏の独奏作品ばかりとはいえ、聞き応えのあるアルバムとなっている、機会があれば是非耳にしてほしいアルバムといえる。『現代日本チェロ作品集』(1971)。




堤 剛(つつみ つよし、1942年 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%89%9B

黛 敏郎(まゆずみ としろう、1929 - 1997)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%9B%E6%95%8F%E9%83%8E


間宮 芳生(まみや みちお、1929 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%93%E5%AE%AE%E8%8A%B3%E7%94%9F

下山 一二三(しもやま ひふみ、1930年 - )
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%B8%80%E4%BA%8C%E4%B8%89
下山 一二三、公式サイト
http://shimoyama123.web.infoseek.co.jp/