yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

アレクサンドル・スクリャービン『ホロビッツ plays ピアノ作品集』。形式崩壊の時代を予感。たゆたう取り留めなさ、その了解しがたい浮遊感伴う後期の美。ヒゲの顔貌で決まり。

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Scriabine "Caresse dansée" Op.57 no°2. by Glenn Gould.

         

     「目に見えるものは、見えないもののイマージュである」  (聖ドニ

イメージ 2文学での象徴主義なるものはフランスの詩人マラルメなどの名で、その存在を認知していたけれど、音楽に象徴主義なるものがあるとは知らなかった。印象主義また印象派というは、ドビュッシーの音楽を評して言われることとして当然のごとく知ってはいたが。せいぜいがその程度だった。浅学なことではある。スクリャービン(アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービンAleksandr Nikolayevich Skryabin, 1872 - 1915)がその象徴主義神秘主義を作風とし、主是とする作曲家だと、このたび初めて知った。いや音楽史的な事柄としてはすでに聞き知ってはいたのだと思うけれど、この稿のためにCD解説書やネットを覗いていてハッキリと追・再認させられたというのが本当のところだろう。たぶん幾度となくすでにFM放送などで耳にしていたはずの作曲家、作品だけれどそんなに印象強くする類の作曲家ではなかった。ドビュッシーなどに比べて認知度が低いということも当然あっただろう。もちろん作品に対する一般的印象評価も左右してのことだろう。ところで、今回そのスクリャービンのCDを取上げようとわが町の図書館で借り受けたきっかけは、先日の投稿記事での山田耕筰のピアノ作品を聴いていたおり、解説にスクリャービンの作品との出会いがあり、その強い感銘からスクリャービンに捧げる曲(「スクリャービンに捧ぐる曲」)が、彼の死の知らせを機として作曲されたとして収録、解説されていたことだった。おなじく、同様≪山田は1913年に留学先のベルリンから日本に帰る途中でモスクワに1週間ほど滞在し、スクリャービンのピアノ作品を聞いて深い感銘を受けたらしい。そのときのスクリャービンの曲について山田は「それは『作られた声』ではありませんでした。『溢れ出た声』でした」と記している。≫(高橋健一郎研究室BLOG)とのネット記事を目にしたということもあった。≪日本へ帰って、しばらくしてから、山田耕筰スクリャービンの死を聞かされた。そして、このロシアの異常の作曲家と自分との、不思議な縁を感じたのである。スクリャービンの音楽を流れているもの、それは自由な魂の、とぎれることのない動きだ。それは、大地からたちのぼり、天空から降り注ぐ。神のものではありながら、神に従属はしない。人間はみずからのうちに流れる、その聖霊の働きを感じとりながら、魂の成長をとげていくことができるのだ。山田耕筰は、日本人である自分の精神のうちを流れているものが、このロシア的な聖霊の考えと、多くの共通点をもっていることに、気づいていた。ドイツ音楽をつくりあげているロジックの彼方に、彼は別種の音楽が生まれる可能性を秘めた場所がありうることを、直感で知ったのだ。音楽の歴史がはじまる以前に、人類が奏でていた「音」の世界、そして、西欧の音楽の歴史がそのすべての可能性を出し切って、終焉を迎えたときに、ふたたび出現してくるであろう、別種の音楽の世界。ロシア人は、それを西欧音楽の語法を使って、先取りしてみせるという離れ業に、挑戦しようとしていた。それならば、日本人は……?西欧からもたらされた語法を用いて、私たちには、何がなしうるのか。私たちの無意識を、それは、独自なものとして、造形できるのか。山田耕筰スクリャービンの音楽との出会いの瞬間に、ひとつの重大な問いが、火花となって飛び散ったのである。そして、その火花は私たちの中でいぜんとして、不穏なくすぶりを続けている。中沢 新一 著「音楽のつつましい願い」(68-69頁)≫(同上、高橋健一郎研究室BLOG)。ということでもあり、一度まじめに聴きこもうと言うことであった。私には、やはり無調に突入してゆく、死を前にした後期の作品のほうが断然興味を引いた。たゆたう取り留めなさ、その了解しがたい浮遊感は形式崩壊の時代を予感させ、それだけでも異質で、美しすぎる曲風をもつ世評高い同級生(モスクワ音楽院)のラフマニノフよりはまだしも聴かせる何かを(後期限定だけれど)持っているように思える。ともかく、まるで講談師・田辺一鶴を思わせるカイゼルヒゲと、いかにも、と言った面構えが特異で、それだけでも興味を引くものがある。≪気難しく扱いにくい性格≫(WIKI)。うーん、そうかも・・・とおもってしまう顔貌ではある。



Marc-André Hamelin plays Scriabin Sonata No.1 Op.6 II