yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

マウリシオ・カーゲルの『TRANSICIONⅡ』(1959)とシュトックハウゼン『ZYKLUS』(1959)ほか。チュードアのピアノで、響き、音色の多彩さがダイナミズムと変化をもたらしていて面白い。

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Stockhausen: "Zyklus" for solo percussionist (1959)

           

若きシュトックハウゼン
イメージ 2打楽器のみ(ソロ、アンサンブルを含めて)の作品が書かれたのは音楽が大きく革新変転した戦後のことなのだろうか。戦前には打楽器のみの作品などあるのだろうか。西洋音楽の世界で打楽器のみの作品、演奏グループの存在などあったのだろうか。土俗の世界(たとえばガムラン)などでは在っただろうが・・・これなど、そもそもが宗教音楽といえる。純然たる打楽器のみの作品成立は戦後のことではなかっただろうか。あまり思いうかばないのだけれど。多くの打楽器や騒雑音を音楽作品の要素として多用して斬新な音響世界を提示し、その革新で名が上げられるエドガー・ヴァレーズEdgar / Edgard Victor Achille Charles Varèse, 1883 - 1965)にしてからが、戦前に打楽器のみの作品を書いていたのだろうか。戦後になってからの著しい現象のように思えるのだけれど、どうなのだろう。リズム面からの音楽の革新(ジョン・ケージスティーヴ・ライヒオリヴィエ・メシアンなど)というのもあったのだろうし、閉塞した音楽形式の革新として民族音楽(要素)への関心、着目ということもあっただろうし、騒音雑音の(楽音としての)認知・・・、などとまとまりのつかぬことを考えながらの、打楽器作品の鑑賞となった。シュトックハウゼンの初めてのグラフィックスコアーの試み、それゆえ、演奏の不確定性の導入ということで音楽史的に意義ある作品といわれている『ZYKLUS (for one percussionist)』(1959)と『REFRAIN (for three performers)』(1959)。およびマウリシオ・カーゲルの『TRANSICIONⅡ (for piano, percussion and two magnetic tapes)』(1959)の3作品の収められたのがきょう取り上げたアルバム。(私にとって)打楽器のみの作品というのはイメージ 3あまり面白いものではないのだけれど、カーゲルの『TRANSICIONⅡ』は、演奏者に稀代の現代音楽パフォーマーのデヴィッド・チュードアのピアノが加わっているということと、マグネティックテープの音響がライヴで使われていることからくる、響き、音色の多彩さがダイナミズムと変化をもたらしていて、感興もたらす良い出来となっていると記して、この稿擱くとしよう。半世紀前の作品だ。現代音楽も着実に日を重ね、歩を進めているのだ。


Mauricio Kagel: Transición II {1/2}