yuki-midorinomoriの日記

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アレクサンダー・ツェムリンスキー『叙情交響曲 Lyrische Symphonie 作品18』。大仰、過剰にも美しいロマンティシズム溢れる作品。まさに倦んじて退屈なまでに美しい。

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Lyric Symphony (Zemlinsky) 1st Mvt.

            

イメージ 2ブラームス、そしてマーラーにその才能を認められて世紀末ウィーンの期待の新星としてデビューした、アレクサンダー・ツェムリンスキー・・・」(解説・石田一志)「マーラーシェーンベルクを連結する役割・・・」(同上)とある。なるほど、そうか・・・。これも、いつものごとく、NHK・FMから流れていたのをたまたま仕事中出くわして聴くこととなり(もちろん一部分だけ)、誰だこれは?この大仰な、過剰にも美しいロマンティシズム溢れる作品は!ということで、ネットで検索したところアレクサンダー・ツェムリンスキー(Alexander (von) Zemlinsky, 1871 - 1942)の作品であり、
抒情交響曲 Lyrische Symphonie 作品18』ということだった。で、図書館のネット借受にて申し込み、手にしての鑑賞とあいなった。そうだねー、ここまで過剰な音つくりで世界をベッタリとロマンティシズムに色づければ、先は息が詰まりそうなドンズマリしか来ないわなー。この息苦しいまでの濃厚さは尋常ではない。それゆえ音を削り再整除する無調セリエルも(歴史)必然だ。寡黙峻厳なウェーベルンもまったくもって時代の要請だったんだと納得する。まさに、倦んじて退屈なまでに美しいと言っておこうか。
ところでこのツェムリンスキーも、ナチス・ドイツの戦禍から逃れシェーンベルクと同じく≪1938年にアメリカ合衆国に亡命し、ニューヨーク・シティに定住する。シェーンベルクロサンジェルスで名士として持て囃され、1930年代と1940年代を通じて、カリフォルニア大学ロサンゼルス校や南カリフォルニア大学の教壇に立ち、後進の支持を得たのに対して、ツェムリンスキーは見知らぬ土地で無視され、無名も同然であった。英語が分からず、病気がちで一連の心臓発作に悩まされ、このため作曲を続けられなかった。1942年にニューヨーク州ラーチモントにおいて肺炎のために逝去した。≫(WIKI)とある。そうだろう?なー。




ツェムリンスキー『叙情交響曲 Lyrische Symphonie 作品18』

1.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 1- 私は不安だ
2.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 2- お母様、若い王子様は
3.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 3- お前は夕べの雲
4.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 4- 話して下さい、いとしい方
5.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 5- お前の甘美なる縛めから解いてくれ
6.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 6- 最後の歌をうたいおえて
7.抒情交響曲 作品18 ≪タゴールの詩による≫ 7- 穏やかに、わが心よ