yuki-midorinomoriの日記

イメージを揺さぶり脳をマッサージする音楽

『湯浅譲二の世界』(芸術現代社・2004)。「始原への眼差」としての音楽。「音楽は、それが未来に向かって生きなければならない人間の<自己への問いかけ>として把えられるとき、実験精神によって支えられる。

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Yuasa- Cosmic Haptic(1957)

               

     音楽というものは精神の自由な思索の姿なのである。  (ストラビンスキー)

【「かつて音楽は祈りであり、人々の愉しみであった。では今日は?湯浅譲二が現代の祈りの音楽を作曲し、宇宙への内触覚的な透視をつづける音楽の行動といったものを試み続けている・・・・しかし、それはかつてのように耳にすぐにとどく祈りの旋律ととしてではない。それは音楽もまた人間の世界認識、宇宙認識の進化とともに、新しい認識の力として展開されていくからにほかならないのだ。音楽もまた人間の宇宙への認識論であり、そのかぎりない冒険なのである。」】(「その内触覚的な宇宙のプロジェクション」・秋山邦晴)

200ページにも満たない僅かのページの冊子なのに、やっとこさ細切れ飛び飛びの読書を終えた。図書館のネット借受にて手にした『湯浅譲二の世界』(芸術現代社・2004)の読書。武満徹とともに語られることの多い、つねに先端を走ってきた実験的でありつつ思索的作曲家の湯浅譲二論集成、対談集。この二人の若き「実験工房」時代よりの交友、切磋琢磨は、折にふれエピソード程度の表層でしかないものの取り上げられている。けれど、作風はおおいに違っており、当の湯浅譲二のほうは、感性の武満にたいし、実験的で、理知的と、対比的にだけれど一応括れるだろうか。それに両者ワールドクラスのわが国の誇るべき作曲家であることは言うを俟たないだろう。今から30余年前の1975年にすでにしてLP5枚組みのボックスセット『PROJECTIONS』の出されているのがその評価を証示しているといえよう。
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『PROJECTIONS』収録作品――

【オーケストラの時の時・Ⅰ time of orchestral time (1974)
箏とオーケストラのためのプロジェクション≪花鳥風月≫ projection for koto and orchestra "flower, bird, wind and moon" ((1967)
オーケストラのための≪クロノプラスティック≫ chronoplastic for orchestra (
七人の奏者のためのプロジェクションズ projections for seven players
二本のフルートのための≪相即相入≫interpenetration for two flutes
チェロとピアノののためのプロジェクション projection for cello and piano(1967)
弦楽四重奏のためのプロジェクション projection for string quartet(1970)
コントラバスのためのトリプリシティtriplicity for contrabass(1970)
インター・ポジ・プレイ・ションinter-posi-play-tion(1973)
内触覚的宇宙cosmos haptic(1957)
プロジェクション・トポロジックprojection topologic(1959)
オン・ザ・キーボードon the keyboard
スペース・プロジェクションのための音楽music for spaceprojection(1970)
ヴォイセス・カミング(voices coming)(1969)
テレフォノパシイ(tele-phono-pathy)
インタヴュー (interview)
殺された二人の平和戦士を記念して(a memorial for two men of peace, murdered)
ホワイト・ノイジによる≪イコン≫icone on the sousce of white noise(1966)
アタランス・混声合唱のための――原発声=発生utterance(1971)】
     (Joji Yuasa 1929- List of Works http://chorch.fc2web.com/e/yuasa_j.html)


コスモロジー、始原性、内触覚的宇宙、宇宙的(集合)無意識、マージナル (境界) な思考、プロジェクション(投企)。こうした語彙にこの作曲家の世界は示されている。まさに対発生、対消滅といった物質の始原、始まりの始まりをイメージさせる。こうした始原性への原思考、主客未分離の内触覚的宇宙といったマージナル (境界) な思考。

【音楽は、それが未来に向かって生きなければならない人間の<自己への問いかけ>として把えられるとき、実験精神によって支えられる。創る者にとって、それは<存在の証し>としての意味をもっている。(以下略)】(上記書)・・・・投企・プロジェクション 

【作曲とは何かと言えば、脳に集約される精神構造、精神機能といった“心”が結果的に形成するトータルな自己自身の世界観の表明であると、私は思うのである。】(同上)・・・コスモロジー

【私は、作曲家としての人生を<旅>とするならば、それに向かって出立して以来、私の音楽発想の原点や動機を、人間発生、文化発生に遡った時空に求め続けて来たという自負を持っている。】(同上)・・・始原性、内触覚的宇宙、宇宙的(集合)無意識、マージナル (境界) な思考。

【人間の西洋音楽の五百年くらいの歴史、あるいは日本の音楽の千年ぐらいの歴史ということを越えて、つまり文化圏が確立する前の人間の発生というところまで戻ると、西洋も東洋もない始原性といいますか、そいうところで音楽を書きますと、その人間の本来の性質に訴えるような音楽ができるのではないか、というのが僕の理想なんですね。それで「始原への眼差」という名前をつけたのですが、それは一番最初にあったように「内触覚的宇宙」とずっと一貫してつながってきているものなのです。・・・・結局僕はいつも「音楽とは何か」ということを考えていて、一つ一つの作品がそれへのひとつの答えと思って書いています。・・・】


【だいたいぼくはウェーベルンの音楽にお能のなかにある空間性みたいなものを感じていたわけね。】

【日本の音楽には、簡単に言えば、西洋の音楽のようなハーモニー構造がありません。西洋の音楽では、メロディーはハーモニーの構造によって支えられています。ですから、メロディーが移り変われば、あるいはメロディーが同じ音程を持続していても背後にあるハーモニーが変われば、音楽の性質はそこで変わっていきますし、そういう醍醐味を持っているのが西洋音楽でしょう。日本の音楽にはそういうハーモニーの構造がないかわりに、別なところに音楽的インフォメーションがあります。】(引用すべて上記書より)