ブーレーズ『婚礼の顔、水の太陽、フィギュール・ドゥブル・プリスム』。ウェーベルン以後の無調の戦後が生んだこの硬質の叙情はたまらなく美しい。
Pierre Boulez - Le soleil des eaux
もう3年以上も前になるけれど、フランスの3人の作品を集めたアルバムを≪日本の鳥<ツグミ>、<キビタキ>の鳴き声が聴こえるオリヴィエ・メシアンの『管弦楽のためのクロノクロミー』(1960)、ブーレーズの初期作品『水の太陽』(1948)ほか。≫として投稿したけれど、そのなかに、ブーレーズの初期作品『水の太陽』(1948)が入っていた。たぶん、この作品を聴きたくて購入したと思われるけれど、師のメシアンに敬意を表して投稿分類書庫は「現代音楽<欧・米・亜>」としたのだろう。このように既に投稿済みの曲が入っているのだけれど、きょうはネット図書館で借り受けたブーレーズの初期の「作品集」(検索洩れしていたのだろうか?)を投稿する。ところで、冒頭の投稿記事には下記のように印象を記している。
【・・・さて残るブーレーズの作品『水の太陽』(1948)である。これは、ファースト・ヴァージョンが1948、セカンドが1950、1958、そして1965年と、かくヴァージョンがあるそうである。どのような変遷があるのか興味あるところだけれど、それらはまたの機会としよう。わずか8分ほどの作品である。後の『プリ・スロン・プリ』や『ル・マルトー・サン・メートル』などの透きとおった硬質な煌びやかさ、アタック等対比的なメリハリをもった緊張感と流れるような動き。そうした特質の生み出される一歩手前といった印象で、いささかの軽やかなロマンティシズムと古典性がほの見える、つまりは初々しく瑞々しいとでも言ったほうがいいのだろうか、そうしたものの残り香の匂う作品である。そうしたことは、声が伴う作品ということも一因かもしれない。さて最後に、この稿のためネットを覗いていてブーレーズが述べたという印象深い言葉で締めくくろう。
「私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない」Pierre Boulez(1925~)】
さて、このアルバムには、初期の傑作というより戦後現代音楽史を飾る歴史的名作『プリ・スロン・プリ Pli selon pli (soprano and orchestra) 』(1957-62)や『ル・マルトー・サン・メートル Le marteau sans maître (alto, alto flute, guitar, vibraphone, xylorimba, percussion and viola,)』(1953-55)へと至る時代の声を伴う2作品と、オーケストラ作品が収められている。これら作品の印象批評は、上記の既投稿記事に記した≪透きとおった硬質な煌びやかさ、アタック等対比的なメリハリをもった緊張感と流れるような動き≫といったブーレーズ特質の美しさに感嘆措く能わずと言ったところだ。ウェーベルン以後の無調の戦後が生んだこの硬質の叙情はたまらなく美しい。こうした作品でのブーレーズの、リズムと音色感覚の多彩の傑出をどう伝えればいいのだろう。
≪「私は現代音楽の未来に、なんら不安を持ったことはない」Pierre Boulez(1925~)≫
そうでしょうそうでしょう。これだけの作品を歴史に、伝統に刻んでいるのだから。
06 水の太陽 恋をしているトカゲのなげき(ルネ・シャールの詩による)
LE SOLEIL DES EAUX POEME DE RENE CHAR COMPLAINTE DU LEZARD AMOUREUX (1950~1965)
LE SOLEIL DES EAUX POEME DE RENE CHAR COMPLAINTE DU LEZARD AMOUREUX (1950~1965)
Boulez, Pli Selon Pli (excerpt 1/2)